波と楽器のあいだ

川野太郎
波と楽器のあいだ / 5
2025年12月12日

ダンス

 毎年、年末には憂鬱氏がやってくる。
 ウィリアム・ブレイクが詩で肖像画を描いた彼である。

そして夜が来たら、行こう
 悲哀にふさわしい所へ。
暗い谷間を歩こう、
 物言わぬ憂鬱を連れて。*

 年の瀬とは一年における夜ではないだろうか。
 今朝の夢のなかで青ざめた少年の肩を揉んだ。異様にこわばっていた。いくらか自分自身の肩を触っているような感覚があった。自分で自分の肩を揉むときはふつう、親指は身体の前のほう、鎖骨の上あたりに添えられる。でも夢のなかで自分は分身だった。生物学的なルールはどうでもよく、自分の肩甲骨の上に親指を添えて圧をかけた。
 疲労は肩に出る。
 三百六十五日の極点が十二月の末日で、そこで年が改まる。その区切りが恣意的に決められたものだとするなら(だって世界に違う日付の新年はいくつもある)、肩のこわばりがその三百六十五日目を目指してもっともひどくなっていくのは、ふしぎだ。
 年末に深刻になる肩こりは、暦のもたらすやまいなのである。
 一月になるとなぜか、肩のこわばりはいくらか和らぐ。冬の日々は続くし、むしろ二月に向かって寒さは深まっていくのだが、肩こりは気候と単純な比例の関係にない。
 二人がけのソファが居間という谷間に置かれている。憂鬱はそこに座って黙っている。ブレイクは憂鬱がしゃべらないことを報告しているが、踊りはどうだろう?
 六時頃に目覚めたが、起き上がれずに十一時になった。とっくに起きている憂鬱はどこを見るでもなく昼前の日差しにつま先を触れさせている。
 わたしは、もうめったに買わなくなってコレクションが止まっているCDの棚をあさり、どんな音楽なら憂鬱が踊り出すかという実験をはじめた。
 やっぱりあからさまに元気でハイテンションな音楽はだめだった。相手が憂鬱なので試すまでもなかったが、それを流すとあきらかに身体の色が濃くなる。紫と黒のグラデーションのなかで、黒のほうへと移った。その移動がしかめ面に見える。
 じゃあ沈鬱な音楽だったらいいのかというと、そうでもなかった。心が躍る、といった比喩ではなく、身体が本当に揺れるとき、わたしは言葉や音の調子ではなく、やはりリズムとかビートに反応している。憂鬱もそこは同じなのだろう。彼は気分の一種などではなく、谷間を「歩く」ひとりの者なのだから。
 あれこれ試すうちに、歌がある音楽についてもひとつ洞察を得た。アップリフティングではっきりと前向きな言葉はだめで、また、たんなる悲痛な嘆きの言葉もだめだった。前者は憂鬱とはべつの世界に属している。後者はそういう意味では彼になじみの世界ではある。でも歩く者でありながらわたしの憂鬱とつながってもいる彼は、いまのわたしのように、他人の憂鬱を受け取るとただ憂鬱を深め、ソファにさらに深く沈み込むだけだった。
 どうも「暗い」とか「明るい」といったアングルで音や言葉を判断することは、憂鬱を前にするとかなり浅薄な方法だと言えそうだった。憂鬱が憂鬱のままで踊り出す音や言葉はどんなものなのか。
 とはいえ、自分自身の感覚という手がかりがあるから、探求にそれほど時間はかからなかった。憂鬱が踊り出す言葉には「謎」がある、と直感した。「何言ってんの?」と思わせる、でもその意味の並べかたがなんだかおもしろい言葉。今日のこの憂鬱とは、行き詰まっているということ、可能性が絶たれているという錯覚のことではないか。触れて、見て、味わえる範囲に興味を惹くものがなく、どんなこともどうでもいい、と思ってしまっている。
 まず踊る場所を確保しなくてはならなかった。謎がそれを作る。きみ、憂鬱は、なにもかもがつまらなくて暗澹たる気分である(文字通り)。だから、まだ解き明かされていない謎が世界にはあると知ることが、きみを揺さぶるのだ。
 そんな言葉に、激しくないビートが――さりげないけれどそれ自身が歌っているようなベースやパーカッションが――あること。メロディはただ短調なのではなく、きみのつまさきにさす冬の陽光のようなところもあること。
 そんな音楽があれば踊り出すだろう。
 私はラムチョップというナッシュビルのバンドの『Is A Woman』というアルバムをかけた。謎めいているがずっとうっすらほほえんでいるような声、カントリーとソウルがまざった、身体をそっと揺らす音。

 憂鬱は、ちょっと腰が引けている独特のスタイルで、両手を心臓よりも上にあげて、優雅に身体を揺らしはじめた。空腹を感じたわたしは台所に向かった。

*『対訳 ブレイク詩集』松島正一編訳、岩波文庫、二〇〇四年、二七七頁。

波と楽器のあいだ

川野太郎(かわの・たろう)

翻訳家・作家。1990年熊本生まれ。訳書にシオドア・スタージョン『夢みる宝石』(筑摩書房)、ベン・ラーナー『トピーカ・スクール』(明庭社)ほか。2025年3月、はじめての散文集『百日紅と暮らす』(Este Lado)を刊行。

artwork / collage | 川野太郎


波と楽器のあいだ/4
音の素性調査

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