川野太郎
波と楽器のあいだ / 4
2025年11月10日
音の素性調査
十月の終わりごろ、小雨が降ったり止んだりする日の夜に、一階がカフェで二階がライブスペースになっているところで弾き語りのライブがあった。客席は二十人から三十人でいっぱいくらい。アンコールも終わり、終演を知らせる明かりがついて、小さく音楽が流れだした。客席を立ってカーペットの敷かれた細い階段に向かうと、そのBGMは階段の入り口付近の椅子に置かれたスマートフォンから流れていた。「あ、聴いたことある」と思ったが、曲名が思い出せなかった。
翌朝はやく、目覚めてもしばらく横たわっている時間に、その音楽の残像がまた頭のなかで流れだした。シンセサイザーの七つの音が何度も繰り返されるなか、歌のようなささやきのような声が入ってくる。ここまではっきりと音を思い出せるのに曲名やアーティスト名が思い出せない。時代も国もわからない。歌は英語だと思うけれど単語までは浮かんでこなくて、声は意味を提示する働きから切り離されている。脳内再生されている音像は、だいたい一九六〇年代以降であればどこにでもありそうだった。捜索がはじまっていた。
しばらくすると「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「Sunday Morning」にちょっと似ているかも」という考えが何度も割り込んできた。単音のシンプルな旋律の繰り返しに、喉のどちらかというと先のほうで出しているような声が入ってくる感じが似ている。「似ている」ということは「それそのもの」ではないということなのに、その似ている曲が探索を邪魔する。観念して頭のなかで一度「Sunday Morning」を再生する。そういえばいまは日曜日の朝だ。
まだ処分せずにとってあるCDをしまってあるケースを、やはり記憶をたどって探しはじめる。アーティスト名の「A」から、アルファベット順に探していく。ジャケットのアートワークが次々に思い浮かぶ。さまざまな色彩とかたち。なんという工夫の痕跡たち。
思い出せない時間が延びるほど、音の残像は妙な雰囲気を帯びてくる。音楽はしばしば、曲名やアーティスト名、もっと言えばジャンル名といった名前たちとともに聴かれている。そうした名前を知っている曲を聴くときは、名前たちが示すさまざまな位置を確認しながら聴いている。そんななかで、はじめて聴く曲ではないにもかかわらず、それにまつわる名前がひとつもわからないというとき、音楽はまるで、いつ、とも、どこ、ともいえないところから響いてくるようだった。いや、実際に音楽が聴こえているわけではない。でも音楽の残像がぽつんと、ほかのものたちとの連関を失ってひとつ、そこにある。その残像のことに注意を傾けている自分もまた、関係の網目から自由な感じがする。
……と書いてはいるけれど、いまの私はその曲がなにかを思い出したあとだ。だから「判明するまではたしかこうだった」ということを言っているにすぎない。思い出せない時間のなかで、走り書きでもなんでもいいからその印象をメモしておくべきだっただろうか? でもそうやって身体を起こして手を動かして記号をあやつりだしたら、目覚めて横たわったままじっと思い出そうとしている時間に感じていた「感じ」、その休息にも似た孤独感は、やはりどうしたって変質してしまうだろう。
その曲はヨ・ラ・テンゴの「Big Day Coming」という曲だった(ついに思い出したときの快感と、高速で遠ざかっていく残像)。それが収録されたアルバム『Painful』の発表年は一九九三年。青いジャケットデザインが脳裏にひらめく。どこにも属していなかった音はアルバムの一曲目という位置におさまり、私が抱いている「ヨ・ラ・テンゴらしさ」の一部に、あるアメリカのバンド音楽の一部になり(彼らには「We're an American Band (私たちはアメリカのバンド) 」という曲もあったっけ)、声にはボーカリストの名前と、映像や写真で見たその佇まいがくっついた。これまで「ヨ・ラ・テンゴはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの系譜の先にいる」というような言いかたをたまに見かけることがあったが、ピンときていなかった。でも曲の素性を絞り出そうとしたときに「Sunday Morning」の邪魔が入ったのだから、はからずもその評言をなぞることになった。
こうやって文脈がふたたび組み上がっていくことが本当に豊かなことなのかどうか、よくわからない。でもとりあえず起き上がって『Painful』のCDを探しだし、再生しながらコーヒーを淹れた。やっぱり頭のなかでイメージするのと音が空気を振動させて耳に届くのとはまったく違う。「思い出せてよかった」と思う。
そのよさは、散歩していて、心のなかでは秋なのか、それをすっとばして暖かめの冬がもうきてしまったのか……といぶかしみながらも、先に甘い匂いを、それから淡くてこまかい橙色の花をみとめて、「金木犀だ、秋が来たんだね」と言えることに似ている。
川野太郎(かわの・たろう)
翻訳家・作家。1990年熊本生まれ。訳書にシオドア・スタージョン『夢みる宝石』(筑摩書房)、ベン・ラーナー『トピーカ・スクール』(明庭社)ほか。2025年3月、はじめての散文集『百日紅と暮らす』(Este Lado)を刊行。
artwork / collage | 川野太郎
波と楽器のあいだ/3
遠い星