佐藤文香
詩へのフライト / 11
2025年11月3日
名句と「ちょっと待てぃ!!」
「相席食堂」という番組がある。千鳥のふたりが芸人のロケ映像を見て、ツッコミを入れたくなったときに「ちょっと待てぃ!!」ボタンを押し、映像をストップして思う存分つっこむ。これを見ていて、俳句でもやってほしい、やりたい、という気持ちがふつふつと湧いてきた。
というわけで、ここでは私の妄想「相席食堂」をお目にかけよう。
〜映像〜
柿くへば
(スキンヘッドの芸人;柿をほおばる横顔)
鐘が鳴るなり……
(鐘;(大音量で)ゴーン!!)
(芸人;柿を嚙むのをやめ、目を見開く)
――「ちょっと待てぃ!!」
ノブ;「そんなジャストなタイミングで鳴らんやろ」
大悟;「柿んなかにスイッチ仕込んどるんか?」
ノブ;「茶店からトランシーバーで連絡しとるんか?」
大悟;「現在、客一名入りました。一分後、鐘、お願いします」
ノブ;「了解。鐘、準備!」
大悟「むしゃむしゃ……」
ノブ;「ゴーン!! って。んなわけないのよ」
(ひとしきり笑ったあと、また映像にもどって)
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規『寒山落木』
(カメラ、引いて、スキンヘッドの芸人が柿を食べている背景に五重塔を写す)
と、書いたところでみなさんが面白いと思うかはわからないのだが、この句のいいところは、「〜ば」で繫いでいる前後に因果関係がないところである。口語訳するなら単に「食べていたところ」くらいでいい。だが、たとえば「柿くへば腹いつぱいや」であれば、柿を食ったからお腹が満たされた、と論理が通る。それでは面白くないわけだ。柿を食ったところで鐘が鳴ったのはたまたまであり、それを必然であるかのように書いて見せたところに妙味がある。句としては「カキク」の音に「カ」ネが響いて気持ちいい。「ネ」「ナル」「ナリ」も唱えたくなる音の連なりだ。
世の中にはこの句以外にもボケの名句、というものがある。明らかに面白いことをもっともらしく言っており、ツッコミを待っている。
川を見るバナナの皮は手より落ち
高浜虚子『五百句』
――「ちょっと待てぃ!!」
「ぼーっとしたフリしてバナナの皮捨てるなよ!」
「それより、川と皮でダジャレなん?」
泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む
永田耕衣『惡靈』
――「ちょっと待てぃ!!」
「鯰は来んのかい」
「お前ら池の底で何しとるん」
人参を並べておけば分かるなり
鴇田智哉『凧と円柱』
――「ちょっと待てぃ!!」
「わかるナリ〜、じゃないんよ」
「何もわからんて」
……書いているとキリがないのでこのあたりにする。もちろん、これらの句からわび・さび、深みを感じてもよい。だが私には「ちょっと待てぃ!!」と言ってあげる方が、いきいきするように思うのだ。
「俳句は読者の文芸」とか、「読者が俳句を完成させる」と言うが、読者がツッコミを入れることで完成する俳句には、ぜひツッコミを入れてあげてほしい。
余談だが、先日はじめて法隆寺を訪れた。幾度となく人前で「柿くへば」の句の話をしているのに一度も法隆寺に行ったことがないというのは説得力に欠けるだろう、という理由である。寺の近くの木々に柿がめちゃくちゃ実っていて、「期待にこたえてくれすぎやろ」と心の中でツッコミを入れていた。
鐘は鳴らなかった。というか、この句の鐘のモデルは東大寺だと言われている。「法隆寺の茶店に憩ひて」なんていう前書き、よう書いたな。次は東大寺に行ってみなければ。
佐藤文香(さとう・あやか)
詩人(俳句・現代詩・作詞)。兵庫県神戸市、愛媛県松山市育ち。句集に『菊は雪』『こゑは消えるのに』など。詩集に『渡す手』。
illustration | 原麻理子
title calligraphy | 佐藤文香
詩へのフライト/10
短歌の色気にやられたい
詩へのフライト/12
詩の朗読=ポエトリーリーディング?