詩へのフライト

佐藤文香
詩へのフライト / 9
2025年10月4日

ダラダラすれば詩が書ける

中学卒業前にホッチキス本の句集をまとめた私は、高校に入学してまず、俳句部が活動しているという会議室へ行ってみた。が、ドアを開けてみたら、誰もいなかった。聞くと、俳句部はこの年から正式に部として認められたばかりで、それは学校全体で「兼部OK」になったかららしい。先輩たちはみな、いつもは別の部活動にいそしんでいるということだった。それなら自分も兼部するか、と、1年のときはコーラス部に入り、2年3年は生徒会書記をやった。
俳句部の部活は週3回。でも外部の先生が来てくれる日以外は部室でダラダラするか、吟行という名目で校内をダラダラ歩いていた。それもダルい日は生徒会行きま〜すと言って生徒会室でダラダラしていた。もちろん、俳句甲子園前は特訓したし、行事前は朝も晩も生徒会で準備をしたが、自分はかなりの時間学校でダラダラしていたと思う。

高校時代、国語の教科書以外で、小説や詩を読んだ記憶もほとんどない。読んだ句集も夏井いつきさんの『伊月集』、如月真菜さんの『蜜』くらいだと思う。高2の担任はドストエフスキーなどを勧めてくる東大卒の国語の先生だったが、反抗心もあって海外文学は一冊も読まなかった。半強制の「朝読書」という時間も、歳時記を開いて俳句をつくっているか、魚や動物のポケット図鑑のようなものを見ていた。読んで覚えているものといえば、生徒会室に副会長が持ち込んだエロ漫画のみである。これだけは目を爛々とさせて読んだ記憶がある。

そんな当時の私に、誰か詩人をオススメするとしたら、と考えると、非常に悩ましい。エロいのが好きだといってもエロい詩を勧めたらダメな気がする。
で、思いついたのは尾形亀之助だ。2017年、『美しい街』という夏葉社から出た小さい詩集を買ったとき、これはたぶん詩を書いていなくても好きだろうなと思った。松本竣介さんによる素描もよかった。



十一月の電話

十一月が鳥のような眼をしている

                        『美しい街』より





詩のタイトルが「十一月の電話」、中身が「十一月が鳥のような眼をしている」。短くてかんたんに見えて、「十一月」というものの捉え方がタイトルと詩の中身で違っている。タイトルの「十一月の」は、11月その月の、という意味だと思う。普段の使い方だ。けれども鳥のような眼の「十一月」というのは、この一行の中の主体であり、どうも生き物かなにかのようだ。十一月って、目があったのか。鳥もいろいろいるけれど、私は澄んだ空気をまとった、孤高な雰囲気の鳥を想像した。そうするとなんだ、この詩は、電話の会話の中身なのだろうか? あれ、「十一月」本人(?)からかかってきたのか? 十一月とは、いったい。この詩は私の好きな俳人である富澤赤黄男など、新興俳句系の俳句といっても通じそうだ。短くて、謎めいていて、そのわからなさが面白い。

2021年には西尾勝彦編の尾形亀之助詩集『カステーラのような明るい夜』(七月堂)が出て、それも買った。重複している作品もあるけれど、文字組が違うとまた少し違って見える。天候や季節が感じられる短い詩が多くて、それもまた俳句との親和性があるように思う。



秋の日は静か

私は夕方になると自分の顔を感じる

顔のまん中に鼻を感じる

噴水の前のベンチに腰をかけて
私は自分の運命をいろいろ考えた

    『カステーラのような明るい夜』より





「夕方になると自分の顔を感じる」と言われると、つい今、自分の顔を感じてみようとしてしまうが、顔を感じるというのはけっこう変だし難しい。だって、何かを感じるための目、鼻、耳、口が集まっているのが顔なのだから、自分で自分の顔を感じるというのは、普段なら鏡で見るか手で触ってみるかして認識するしかない。でもこの人は、少しのあいだ静かに目を閉じて、顔はどこからどこまでか、さらには自分とは何かを考えている、ような気がする。そしてその真ん中に、たしかに鼻があると、思い至る。芥川龍之介の〈水涕や鼻の先だけ暮れ残る〉という俳句も思い出した。鼻とは、自我の頂点のようでもある。
顔を感じたあと、これからの自分について思いを馳せる。顔とは今の私であり、今後世界に直面する自分のナマな部分だ。噴いては静まる噴水には、運命の縮図的な趣もあるかもしれない。「いろいろ」という適当な言葉が、なぜだか秋の夕暮れに沁みる。

尾形亀之助の詩は、結晶のような美しい詩がある一方で、妙なものごとの捉え方や、スローモーションをかけたような言葉の置き方がある。急いでいたり忙しかったりすると、こういう詩は書けないのではないかと思う。本を読まずダラダラしていた高校時代の自分も、これなら読めそうだし、自由詩にも興味を持ったかもしれない。 大人になってからもかなりの時間をダラダラに費やし、本日昼寝の前後1時間ダラダラしてしまった40歳の私のことも、亀之助さんは励ましてくれている。これだけダラダラしておけば、明日はいい詩が書けるだろう。


佐藤文香(さとう・あやか)

詩人(俳句・現代詩・作詞)。兵庫県神戸市、愛媛県松山市育ち。句集に『菊は雪』『こゑは消えるのに』など。詩集に『渡す手』。

illustration | 原麻理子
title calligraphy | 佐藤文香


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