佐藤文香
詩へのフライト / 8
2025年9月18日
大人のための扉
大人になってから自分の才能に気付いた、という経験はないだろうか。
私は、ある。
思ったより、酒の味がわかるのだ。
あまり酒を飲んだことがない段階でも、酒を飲んで感想を言うと「なかなか味がわかるねぇ!」と言ってもらっていたが、最近では初めて飲んだ日本酒でも「これは「風の森」に近い、微発泡でフルーティー」とか、「乳酸発酵系の酸味、でも落ち着いていて、最後の苦味がいい」といったことがわかるようになった。別にこれくらいはグルメな酒飲みなら誰でも言えることだけれど、普段は家でグラノーラや納豆ご飯を食べている自分にも味がわかるのは嬉しい。普通科だったので学校の授業で舌を使うことはなかったが、もしテイスティングの授業があったら、「勉強しなくても勉強できる子」のような気分を味わえていたかもしれない。
大人になってから、詩が書けることに気付く人もいる。私の友人には案外そういう人が多い。ぼーっとしたまま大学に入ったけれどそこで英詩の面白さを知り、しばらく読んだのちに詩を書いたら書けてしまった人。大学では観光学部だったのにあるとき読書にハマり、詩の講座に通ってみたら面白さに目覚めた人。ほかにも歴史をやっていた人、音楽をやっていた人、などなど。みんな、ある日、詩を書き始めた。
見慣れた部屋の壁をあらためて見直すと実は扉があったことに気付き、扉を開けて踏み出してみると、その世界こそが新しい自分の居場所になるというのは、詩以外でもあることだ。もしかすると、思春期を過ぎて自分の部屋に飽きたころに扉が出現する仕掛けになっているのかもしれない。大人のための扉だとすれば、年を重ねるのも悪くない。
私自身は、若手詩人の詩の連載をしているWebサイトから「俳句でもなんでもいいので書いてください」と言われ、せっかくなら詩も書いてみるかと思い、書いてみたのがはじめだった。もともと読書は苦手だったし、俳句以外の文芸作品というと短歌しか書いたことがなく、短歌はあまり向いていなかったようで、「自分はやっぱり俳句だ」と思っていた。でもどこかで、「俳句じゃない」という気もしていた。詩のようなものを書いてみたら、そのうちいくつかは、自分が思っていた以上のものになった。俳句以外の何かが書けることを、大切にしたいと思った。
そのころ読んだのが、岡本啓さんの第一詩集『グラフィティ』(思潮社)だった。岡本さんも、自分は詩が書けると気付くのは遅かったという。大学を出ても就職せずレンタルビデオ屋さんでバイトしていたらしい。バイトさんにはさまざまな人がいただろう。お金を貯めて海外旅行をしたい大学生とか、ミュージシャンになるためにがんばっている人とか。そんな中に、のちに詩人になる人がいるとは、なかなか思いもよらない。でも逆に言えば、詩人になる可能性のある人はどこにでもいる、ということでもある。
弟、おまえが
吹きつけていたのは苔だったか
あるいは壁の層に
埋もれていた花だったか
とつぜん、はっきり聞こえた
言葉をふかく柩にしろ
そう聞こえた
単純に
ぼくは言葉で木をつくりたい
言葉で、釘とノコギリを
飾りボタンと、もっとたくさんのボタンと
たくさんの写真と、スプレー缶と、花と
これらを燃やす
火を
手さぐりで書きとめた文字は
灯りのしたで形がなかった
でも意味のほどけた線をなぞると、そこに
一瞬だけ
澄みきった夜の砂漠がみえた
だから
弟、おまえが
吹きつけていたのは苔だったか
あるいは壁の層に
埋もれていた花だったか
とつぜん、はっきり聞こえた
言葉をふかく柩にしろ
そう聞こえた
単純に
ぼくは言葉で木をつくりたい
言葉で、釘とノコギリを
飾りボタンと、もっとたくさんのボタンと
たくさんの写真と、スプレー缶と、花と
これらを燃やす
火を
手さぐりで書きとめた文字は
灯りのしたで形がなかった
でも意味のほどけた線をなぞると、そこに
一瞬だけ
澄みきった夜の砂漠がみえた
だから
詩集『グラフィティ』の表題作「グラフィティ」より。言葉で「飾りボタン」と書けば、そこに飾りボタンが現れる。「たくさんのボタン」と書けば、そのまわりにいろんなボタンが散らばる。「これらを燃やす/火」と書かれたら、火が現れて、書かれたものを燃やし尽くす。作者に一瞬見えた「夜の砂漠」が、私にも一瞬見える。どんどん、入ってきた。一行の長短が息づかいとなり、文字を目で追うだけで、声の強弱がわかる気がした。こんなことができるのか。詩はすごいと思った。
岡本さんは「現代詩手帖」への投稿をきっかけに本格的に詩を書き始めた。そのあたりはぜひ岡本さんのwebちくまの連載「雲にハサミを入れる」の第1回、第2回を読んでほしい。
webちくま「雲にハサミを入れる」
第一回「
ビデオテープ 」
第二回「
透明人間 」
私はこれを読むと泣いてしまう。岡本さんが詩を書き始められてよかった。岡本さんの詩が存在する世界になってよかった。そして、詩があったから岡本さんと友達にもなれた。すごくよかった。
私は今年はじめて大学で俳句や詩の創作の授業を受け持った。もしかすると、たまたま受講してくれた学生さんの中に、自分の中の詩の扉が開いた人がいるかもしれない。場合によっては、こんなことは人生ではじめてで、驚いているかもしれない。それならぜひ、二篇目の詩を書いてみてほしい。岡本さんのように投稿してすぐに選ばれなくても、いろいろ読んだり書いたりしてみてくれるといいなと思う。
そしていつか、詩を肴に酒を酌み交わせたりすると、最高だな。
佐藤文香(さとう・あやか)
詩人(俳句・現代詩・作詞)。兵庫県神戸市、愛媛県松山市育ち。句集に『菊は雪』『こゑは消えるのに』など。詩集に『渡す手』。
illustration | 原麻理子
title calligraphy | 佐藤文香
詩へのフライト/7
描いたり、書いたり、声に出したり