詩へのフライト

佐藤文香
詩へのフライト / 6
2025年8月18日

むずかしい島へようこそ

さて、ハバネロ屋さんの帰りに、エリン&ジェイムズと私はクラフトビールの店に寄った。

詩へのフライト / 5 「ハバネロ屋さん」

原宿らしからぬ路地の奥の新しい店で、大きなタンクが並んでいる。ここで醸造もするとWebサイトには書いてあったが、タンクはまだ搬入したばかりで、ビール作りは今後やっていく予定とのこと。この日の店員さんはイギリス人で、カウンターには数人の外国人のお客さんがいた。私たちはハーフパイントでビールを頼み、テーブルへ。椅子が足りなかったのでジェイムズには立ち飲みで我慢してもらった。

で、どういう流れだったか、ヨセミテの話になった。ヨセミテとはユネスコ世界自然遺産に登録されている国立公園で、カリフォルニア州にある。私もアメリカ在住時代、タカシの同僚夫妻の車に乗せてもらって行ってきた。



滝壺へしぶきの束の競ひ落つ
風ときに岩をあらはす滝の底
文香





アメリカの作品をまとめた句集『こゑは消えるのに』(港の人)より。いくつもの滝や露出した巨岩があり、車と徒歩でまわった。国立公園を出たところのロッジに泊まり、そこでもアメリカのビールを飲んだ。もうthree years agoだ〜などと言い、2人に写真を見せた。エリンとジェイムズも行ったときのことを話してくれた。

すると、カウンターでビールを飲んでいた数人の男性グループのうち、一番年長と思われる人が、「君たちはヨセミテに行ったの?」と、英語で話しかけてきた。カリフォルニアから来た旅行者らしい。私たち3人は英語と日本語ごちゃまぜで話しているから、英語の部分が聞き取れたのだろう。この人たちはわりと年齢にばらつきがあって、疲れていたのかみな口数が少なく、どういう仲間なのかもよくわからなかった。

社交的で親切なエリンは、ヨセミテの話を軽くしたあとで、「日本はどうですか?どこへ行きましたか?」と、英語で聞き返してあげた。すると、東京の有名な観光地にしか行っていないらしく「人も多いし疲れた」と言う。エリンは、「ちょっと電車に乗って、長野とかに行けば素晴らしいのに!」と言い、私もジェイムズも同意見だった。エリンとジェイムズは、同じアリゾナ出身で長野で出会うという、どう考えても運命としか思えないカップルなのだが、日本の田舎にALTとして赴任したことがきっかけになって日本移住を決めただけあって、日本のよさについては私よりよく知っている。

残念ながらおじさんたちにとっては、この日が日本最後の夜ということだった。この店を選んだのも店員さんが英語を話せるという理由だろう。たしかに素敵な店だけど、これならアメリカのマイクロブリュワリーやタップルームに行けばいいじゃんなぁ、と思わざるを得なかった。

ハーフパイントを飲み干した私たちは彼らより先に店を出た。歩きながら私は、「やっぱさ、旅行するのって、最低限の勉強って必要だよね。とくに日本は。というか東京は」と話した。すると、2人も同じことを思っていた。「あのおじさんたちは、日本についての事前情報を何も得ずに来たかんじだった」「それならグアムとか行ったほうがいいよねぇ」「文化を楽しむには知識が要る」。私たちは、暗い道を千駄ヶ谷駅に向かって歩いた。原宿の喧騒よりも、東京のど真ん中の通ったことのない道の方が、この都市に住む私たちにとっては面白かった。

日本についての知識があまりないなら、東京より京都に行ったほうがいいと思う。街を歩いていればお寺や神社に出会えるし、錦市場や先斗町のようににぎやかな店の並ぶスポットがある。要は、ある程度受動的だったとしても、日本的なものにさえ関心があれば、京都なら楽しめる(もちろん、知識があればあるほど味わい甲斐があるのも京都だ)。しかしたぶん、あのおじさんたちはお寺や神社にも興味はないだろう。カジノがあったらよかったのかもしれないけど、それが日本にとってプラスかどうかは、私にはわからない。



俳句や現代詩を読むことを趣味に選ぶのは、世界中の旅先から東京を選ぶことに似ている気がする。事前知識なしでも味わえる作品は多くなく、“ここでのやり方”を学んだり、自分の好みの作品に辿り着くまで調べたりしないといけない。詩に詳しい友達がいたらいいけれど、ほとんどの人はひとりでこの地に足を踏み入れるので、能動的に情報を収集できないと楽しむところまで辿り着けず、「よくわからなかった」「面白いと思えない」で終わってしまう。

そういう人が一人でも減るように、私はここ15年ほど、俳句の案内人をやってきた。前回話した“ハイク屋さん”のようなことだ。私だけではない。多くの詩人や俳人が、学校で、公民館で、webで、テレビで、居酒屋で、各ジャンルに興味を持った人への手助けになれるよう尽力している。知識の多さや情報のアップデート度、独自の再評価やプレゼンのうまさなど、それぞれ特技が違うから、担当する旅人のタイプも違う。私のように入口付近で最低限のやり方を伝授するタイプの案内人もいれば、素質のありそうな人をピックアップして沼に突き落とす(?)ような人もいる。書籍や雑誌の編集者さん、学校の先生、書店員さんの協力もありがたい。

詩歌は一部の人だけが楽しめばいい、という意見もあるけれど、入口まで来てくれた一人が「一部の人」になるかどうかは、少し滞在してもらってみないとわからない。そりゃあ詩歌の島に移住してくる人は少ないだろうけど、10年後にまた読みに来てもらえるかもしれないし。島への旅が一回きりに終わったとしても、その人の人生のなかでいい思い出にしてもらえれば充分だ。お気に入りの一句や一篇をお土産にして帰ってくれていれば、すごく嬉しい。



エリン&ジェイムズと私は途中下車して、鳥貴族でさくっと飲んで食べて帰った。
あのおじさんたちにも、鳥貴族をオススメすればよかったかな。
鳥貴族キーホルダーも、いいお土産になったかもしれない。

日本の夏のもも貴族焼(たれ)
文香


佐藤文香(さとう・あやか)

詩人(俳句・現代詩・作詞)。兵庫県神戸市、愛媛県松山市育ち。句集に『菊は雪』『こゑは消えるのに』など。詩集に『渡す手』。

illustration | 原麻理子
title calligraphy | 佐藤文香


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