佐藤文香
詩へのフライト / 4
2025年7月18日
誕生日プレゼント
胡椒を挽く、納豆を食べる、ラップをかける、髪の毛をむすぶ、傘をたたむ、……
詩の方法のひとつに、「列挙」がある。技法というほどでもないかもしれない。並列や対句よりもっとざっくりと、言葉を並べていくやり方のこと。それらの言葉が何かで結びついている場合もあれば、深いつながりはないこともある。
共通項が見出せる場合でも、それさえわかれば正しく詩が読めている、というわけではない。詩にとって、あらすじや隠された意味はひとつの要素にすぎないから。詩は推理小説ではなく、詩を読む人は名探偵であってはいけない。ひとつの詩に滞在するときは、道草や休憩を大事にしたい。
と、しょっぱなから偉そうなことを言っておいてなんだが、この文章のはじめの「列挙」はべつに詩ではないので、すべてに共通するのは何かを推理してほしい。どれも日常生活の何気ない動作、以上の共通点がある。後半で答え合わせをしよう。
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前回(⇨第3回)は「人生初手術」の話だった。その5月の月末に、なんと「人生初骨折」をした。ランニング中につまずいてフェンスに突っ込んだのだ。自分でもなぜそんなことになったかよくわからない。それにしても40歳を迎える前月に手術と骨折とは、神様に「30代で経験しておくべき苦労の量が足りない」と判断されたに違いない。そんなわけで、誕生月である6月の1ヶ月間を、左手ギプスで過ごすことになった。ギプスももちろんはじめてだった。
橈骨遠位端骨折かなしいことなどない
文香
今回骨折したのは左手首。私はもともと左利きだが、用途によって利き手が違う「クロスドミナンス」で、文字を書くのもスマホを扱うのも右手だった上、歯磨きや化粧なども数日練習すれば右手でできるようになり、片手での動作についてはほぼ問題なくなった。箸だけはぎこちなかったが、それでも普通の人と同程度の時間で食べ終われるくらいにはなった。
しかし困ったのは、両手で行うタイプの動作である。これらの動作はメインで使う手があり、それには利き手を当てるけれど、「押さえておくだけ」「持っておくだけ」といった、難しくないことを担当するサブの手なしには成り立たない。
そう、はじめの5項目の共通点とは、「両手が使えないとできないこと」。とくに、片手が使えなくなってはじめて気づいたことを挙げた。
一番驚いたのは、ラップが使えないことだった。ほとんど意識せず一食につき数回行っていた、あの単純な動作ができなくなるとは思わなかった。たしかにラップをひっぱる方の手には重心をのせなければならないし、切る方の手は手首を使う。手首を動かしてはいけない、重さをかけてはいけない人には、最も不向きな製品であることが判明した。さらに、胡椒や塩のミルは両手首にある程度の力をかけないといけないので、ギプスが外れた現在でも恐る恐るやっている。ペットボトルの蓋を開けるのはどうかというと、早い段階で「腿に挟む」という技が使えるとわかった。この立派な太腿に感謝する日が来るとは。
生きていると、「失ってみてはじめて気づくこと」は多い。普段の生活であればそれは大きな損失だけれど、詩を書き始めた人にとってはマイナスなことばかりでもない。気づきは書き始めるきっかけにもなるし、作品の核にもなる。いつもと違う見方ができると、当たり前すぎて書こうともしなかったことに、言葉を尽くせる。
神様は40歳の誕生日に詩の題材をプレゼントしてくれたと思うことにして、何か一篇「骨折しないと書けない詩」を書こう。このエッセイも、骨折したから書けた。よかった。
佐藤文香(さとう・あやか)
詩人(俳句・現代詩・作詞)。兵庫県神戸市、愛媛県松山市育ち。句集に『菊は雪』『こゑは消えるのに』など。詩集に『渡す手』。
illustration | 原麻理子
title calligraphy | 佐藤文香
詩へのフライト/3
手術台、ではなく