詩へのフライト / 1
2025年6月3日
マコトさんの詩
マコトさんの話から始めようと思う。
マコトさんは、私の配偶者であるタカシさんのお父さんで、鹿児島に住んでいる。
趣味はゴルフ、お酒は飲まない。定年までは百貨店で家具の販売の仕事をしていた。
一方、私が好きなのは宝塚歌劇団とお酒、やっているのは俳句や詩を書くこと。運動は好きだけど、ゴルフはできない。よって、マコトさんとの共通点はほとんどない。はじめマコトさんには、うちの子はずいぶん変なやつと結婚するんだな、と思われただろう。反対はされなかった。
マコトさんはサービス精神旺盛で、よくしゃべってくれる人だ。私とも無理に話を合わせようとせず、文学や芸術の話になりそうになると「わたくし、ぜんぜん興味がございません!」とおっしゃる。むしろ潔い。詩や俳句を書こうと思ったこともないんじゃないだろうか。
焼肉屋ではご飯大盛り、大好きなのはタバコとコーヒー。実家に行くと、市場で名月(大きな黄色い林檎)を箱買いしてくれたり、履きやすいからと言って自分用に買ったアディダスのスニーカーを持たせてくれたりした。マコトさんのおかげで、はじめは聞き取るのが難しかった鹿児島弁も、徐々にアクセントの法則がわかってきた。
あるとき私は、リビングにあった電子辞書が気になって、「辞書はよく使うんですか」と聞いてみた。なんのことはない、新聞を読んで、難しい漢字を調べて、練習しているだけ、と言うが、新聞を読んだり漢字を調べたりすることは、知的な向上心がないとなかなかできないことだと思う。お互い「こんな機能もある」などと、電子辞書の話で盛り上がったのは嬉しかった。マコトさんの電子辞書は、俳句に便利な季語辞典「歳時記」の入っていないバージョンだったけれど。
そのあと、宅急便に緩衝材として入れてもらった南日本新聞2024年11月23日の紙面には、マコトさんの力強い筆跡で、こう書かれていた。
曳 ひ く エイ
曳航 洩
牽 牽
毀 毀損 きそん
椰子 椰子
椰 なぎ ダ・ナ
叡 叡
洩 洩
木洩れ日 こもれび
枝葉の間から
洩れてくる
日光
たしかに難しい漢字ばかりだ。私も書けない。けれどもそれより、私はこれを詩だと思った。漢字、カタカナ、ひらがな。訓読み、音読み。日本語の表記にはバラエティがあるから、書かれるだけで詩になりうる。そして、「日光」がいい。マコトさんが「日光」を書けないわけがない。「木洩れ日」を調べて出てきた説明文を、最後まで書き写したから現れた言葉だ。新聞紙の余白に、マコトさんの字の、日の光が差した。
この言葉を再構成し、私の詩としてどこかに発表して、マコトさんに見せようと思った。タイトルは「ボールペン」にしようと決めた。
マコトさんが危篤だと聞いて、タカシさんと私が駆けつけたのは4月25日。もう意識はなかった。マコトさんは抗がん剤治療をしないことを選んだから、この日が来るのはわかっていた。5月1日まで、私たちは毎日交代で、マコトさんと病室にいた。
マコトさんと長い時間ふたりきりで過ごしたのははじめてだった。向上心を持ってちゃんと仕事をするように、と言われている気がして、私は病室で、詩のワークショップのやり方を考えた。ここでは、詩は書けなかった。
いのちと過ごす詩集に触れて詩を眺めて
文香
若葉の明るい午後のお葬式を終えて、私は、マコトさんの電子辞書とボールペン、そして鴨の置物をもらった。
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4月28日、鹿児島のファミリーレストランJoyfullで、「詩へのフライト」の題字を書きました。マコトさんみたいな人にも読んでもらえるような連載になるといいなと思います。
佐藤文香(さとう・あやか)
詩人(俳句・現代詩・作詞)。兵庫県神戸市、愛媛県松山市育ち。句集に『菊は雪』『こゑは消えるのに』など。詩集に『渡す手』。
illustration | 原麻理子
title calligraphy | 佐藤文香
詩へのフライト/2
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